整骨院・接骨院の歴史 ヨーロッパ編
整骨院・接骨院の開業に必要な資格である柔道整復師の施術である手技療法は、昔から柔術のひとつである「活法」として伝えられていました。
「触る・なでる・揉む・叩く・さする・押す」などの施術により症状を改善させていきます。
この日本における手技療法は、西洋とどのように違いがあって、どのように発展していったのか。西洋の代表的な手技療法と言えば、カイロプラクティックとオステオパシーがあります。
それぞれの発展、歴史をみていきましょう。
カイロプラクティック
ギリシャ語で手の意味でありますカイロChiroとプラクティコスPrakticos(技術)ができたのは、
1895年(明治28年)、アメリカ・アイオア州です。
ヒポクラテスは、古代ギリシャ時代に脊椎の機能を注目していたと言われます。
注目していたものを体系化して医療への発展させたのは、民間の治療家であるD.D.パーマー一家でした。
1913年(明治46年)カイロプラクティック法案が成立しました。
そのあとに色々あって、カイロプラクティックが国に認知されたのは1974年(昭和49年)のことです。
いまは、アメリカ全州で、カイロプラクティックを行なうカイロプロテクターが医師、オステオパシーと並んで、プライマリーケアとして認知されています。
日本のカイロプラクティック
日本にカイロプラクティックが入ってきたのが、1916年(大正5年)です。
日露戦争直後の1905年(明治38年)柔道家の川口三郎氏が、柔道の講師として渡米したアメリカで初めて目にしたカイロプラクティックの素晴らしさを知り。勉強して、日本の帰国後に開業します。これが日本第一号のカイロプラクティック施術院と言われています。
オステオパシー
1874年(明治7年)、オステオパシーを初めて発表したのは、アメリカ・ミズリー州の外科医A.T.(アンドリュー・テイラー)スティルです。
西洋医学の限界を感じて、自然治癒力を生かす自然医学に注目したと言われます。
医師仲間を中心に、ミズリーから他州へ、そしてイギリス、フランスへと静かに広がっていったと言われています。
オステオパシースクールの第一号は1892年(明治25年)のアメリカン・スクール・オブ・オステパシー(現カークスビル・オステパシー医科大学)、その後アメリカ全土に確固たる基盤を築いていったと言われています。
アメリカで、誕生したオステパシーがイギリスに知られていったのは、20世紀初頭の1902年(明治35年)。
1918年(大正7年)には、初めてのオステパシー専門学校が開校された聞いています。
オステオパシーとは
オステオパシーとは、機能障害に働きかける予防医学です。
病変が、構造的な病変になる前に予防するのが特徴だと言われています。
そのコンセプトは、「健全な血液供給が健康な組織形成に欠かせない」です。
例えば、まず骨盤骨格の調整をします。
その調整の安定性を持続するために筋、腱、靱帯の調整が必要です。
また、内蔵も調整を通して、リンパ液、内分泌液などの体液を正常に動かしていくことが知られています。